アルテア (Altea)
アルテアとは、ギリシャ語のAltahia(治療する)から派生している. イベリア人とローマ人の定住地跡が見つかっている.
イスラム支配時代後期、アルテアはデニアのタイファ支配下にあった. 1244年、アラゴン王ジャウマ1世がアルテアを征服すると、再びキリスト教徒の移住が進み、1279年に町の憲章を獲得した.
スペイン継承戦争さなかの1705年、イギリス艦隊の支援を受けてオーストリア大公カール(のちの神聖ローマ皇帝カール6世)はアルテア湾に上陸した. 大公の軍は、デニアとバレンシアの貴族に近い軍人のフアン・バウスティスタ・バッセトが率いた.
18世紀、農業、漁業、商業がさかんとなり、人口は約5,000人であった. 1960年代以降観光業が急成長し、さらに人口が急増した.